バレンティナさん14歳難病少女をチリの大統領が救った理由とは?
ひとりのチリに住む少女が難病の嚢胞性線維症を発症し、youtubeで安楽死を訴えた動画が話題になっています。
その少女の名前はバレンティナ・マウレイラさん。
嚢胞性線維症
どんな病気?
コチラの病気を調べてみ他ところ次のようにありました。
膵嚢胞線維症(嚢胞性線維症)は、消化器や呼吸器における塩化物イオン(Cl-)の分泌が遺伝的にうまくいかないために、生まれて間もない時からこれらの臓器の働きが悪くなる病気です。(難病情報センター)
ざっくりいうと、体を通っている各器官をつなぐ管に粘っこい分泌液でつまりあちこちに嚢胞とよばれる海ブドウのようなつぶつぶができてしまい機能不全に陥ってしまうというものです。
肺の組織が壊れ呼吸ができなくなり呼吸不全を起こしてしまいます。
以前医療ドラマを見ていた時に同病状を元に作られていましたが、その時の内容だと一生治らない病気として都度切除する必要があると紹介されていました。
どういった人がかかりやすい?
この病気は遺伝性疾患で人にうつったりするようなものではありません。欧米の白人に多い病気で3000人に一人ほど。日本人では150万人に一人という欧米白人に多い病気のようです。
昨今では国際結婚がおおくなり3世4世では欧米での頻度と近くなっているそうです。
請願
この病気はほとんど新生児期、乳児期に発症するようで、バレンティナさんも同じように小さいころから戦っていらしたようです。
お兄さんも同じ病気で6歳で亡くなられています。
自分がどうなるかわかっていながらの闘病生活想像に絶しますね。
現在は14歳ですが、これまでに5回の手術をうけています。そういった闘病生活の中で苦しみ投稿した動画がコチラです。
表情を見るにつかれているのが見えますね。
内容としては次のように訴えています。
「すぐにも大統領と会って話がしたい。なぜなら、私はこの病気を抱えて生きることに疲れてしまったからです。大統領の許可さえあれば、(医師は安楽死へと導く)注射を私に打つことができ、私は望んでいる永遠の眠りにつくことができるのです」(引用:産経ニュース)
この動画が反響を呼び、大統領報道官がコメントを出すまでになっています。
「チリでは安楽死は認められておらず、政府はバレンティナさんの願いをかなえることはできない。法も命も尊重しなくてはならない。ただ、本人と家族のコンサルティング的な処置の費用を負担する用意はある」
とのこと。
面会
この2日後に予告もなしに面会に訪れたのがなんとバレンティナさんが会いたいと言っていた大統領です。
大統領の突然の訪問に初めこそ困惑していましたが、明るくはなしたということ。
大統領は1時間も面会で話をして、命の尊さを説き励ましたとのことです。
チリの大統領はかつて小児科医として活躍されており、保健相も務められておりそういった立場からいてもたってもいられなかったのでしょう。
その後、バレンティナさんは改めて戦う気持ちへ考え方を見直すことができたようです。
ミチェル・バチェレ・へリア
1970年チリ大学医学部に入学。同年チリ社会党に入党。父アルベルト・バチェレ将軍が’74年にピノチェト軍政による拷問で亡くなり、’75年自身も母とともに2ケ月半拘束され、拷問を受けた。釈放後、兄を頼ってオーストラリアに亡命。メキシコ、米国、旧ソ連を経て、旧東ドイツへに渡る。’79年帰国し、チリ大学に復学。’83年卒業後、研修医に。’86年小児科医として働きながら、軍事政権下で親を失った子供たちの支援に取り組む。’88年ピノチェト大統領の任期継続の是非を問う国民投票で“反対票を”と呼びかけた。’95年社会党中央委員となり政界入り、米国の防衛学校に留学。’94〜97年保健次官顧問、’98〜99年国防相顧問を経て、2000年ラゴス政権発足とともに保健相に就任。2002〜2004年女性初の国防相。2006年1月大統領選の決選投票で中道右派の野党同盟候補を破り初当選、3月チリ初の女性大統領となる。(引用:コトバンク)
背景
バレンティナさんがあの動画を投稿したのは同じ病気で入院していた同年代の男の子がなくなり強いショックを受けて精神的にかなり滅入っていたようです。
最後に
どうしてもこういった話に政治家が絡んでくるとイメージアップの戦略と揶揄してくる報道もありがちが、一人の難病少女に戦う力を改めて起させた行動は十二分な評価に値すると思います。
かつては平均寿命が7~8歳だった病気が、現在では18歳までのび、成人する患者も多くなってきているようです。
この笑顔がいつまでも続くよう応援したいですね。
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