ホテルニュージャパン火災横井秀樹社長のあきれた言動の理由?!
今から33年前。1982年(昭和57年)2月8日に、東京都千代田区永田町のホテルニュージャパンで33人の死者をだす火災事故がおきました。
ホテル火災といえばこのホテルの名前がパッと浮かんでしまう事故。
規模や社長の言動もあいまって有名になったようです。
ただ、翌日には羽田沖の航空事故があり、当時報道からそこまでバッシングはなかったとか。
羽田の事故とは?:羽田空港沖日航機墜落事故!高橋康之医師の数奇な運命が明らかに?
どんなことを言っていたのか。その人物についても調べてみました。
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火災概要
火災は、1982年(昭和57年)2月8日の午前3時24分に発生。主に火元の9階と10階を中心に同日12時半過ぎまで9時間に渡って燃え続けた。炎は7階にまで達しており、延焼面積は約4,200平方メートルに達した。ホテルの宿泊客を中心に死者33名(台湾人12、日本人11、韓国人8、アメリカ人1、イギリス人1)・負傷者34名を出す大惨事となった。(引用:wiki)
原因
9階938号室に宿泊していたイギリス人の男性宿泊客の寝タバコが原因
また、ここまで大きな事故になった原因として防火設備の不備があげられています。
スプリンクラー設備などの消防設備を一切設置しなかったこと
火災報知機も故障したままの放置状態だったこと
ホテル館内放送設備も故障のまま、また使用方法の誤り(非常放送用のテープを回そうとしたがベルトが切れて回らず、マイクもヒューズが切れていて放送できなかった)[4]
宿直ホテル従業員の少なさ、ホテル従業員の教育不足による初動対応の不備
客室内の防火環境不備(可燃材による内装、間仕切りの一部が木製だった、など)
防火扉が多数閉鎖しなかったこと(参考:wiki)
ほかにも全室から外が見られるようにフラクタル構造の形をした建築で、迷路のようなつくりになっていたことも指摘されているようです。
実際どういうつくりかは以下の画像を見てください。
まさに迷路ですね。
○印のところから逃げた火元に宿泊していたイギリス人も階段のすぐ近くを通っているにもかかわらず、行き止まりでなくなっていたようです。
煙で見えなかったのが想像できますね。
先日自宅近くで1軒屋が全焼する火災があったのですが、すさまじい熱さでした。
たかだか30平米ほどの建物でそのくらいですから4,200平米だと相当でしょうね。
驚きの言動
今回は社長のあきれた言動も長い時間がたっても話題になる要因のひとつのようです。
・「本日は早朝よりお集まりいただきありがとうございます」
・「(被害が)9、10階で済んだのは不幸中の幸いでした」
・「悪いのは火元となった宿泊客」
消化作業中に拡声器で報道陣に声明を出すなど、通常では考えられない行動をとったのです。
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また、社員からの報告をうけ高級家具のみ運び出すよう指示したり、消防活動中の退院が火傷を負ったことを賄賂をおくろうとしたなどの行動もわかっています。
なんか、人間の本性というか欲にまみれた印象がぬぐえないですね。
人物像
wikiによると、貧しい農家の次男として生まれ、15歳で上京。
丁稚奉公をして2年後に独立。
戦後にGHQ出入りの商社となり、企業乗っ取りから実業へ。
という根っからの商人。
刑務所内では腰が低く、丁寧な対応の人物だったといわれているようです。
また、台湾人の遺族を慰霊のため毎年日本に招待していたという話もあります。
すでに1998年になくなっていますが、メディアにすればいい材料だったかもしれませんね。
(アイコン画像:jiji.com)
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