羽田空港沖日航機墜落事故!高橋康之医師の数奇な運命が明らかに?

   2019/05/08


歴史に残る大事件の裏側で活躍した偉人に目を向ける番組でひとりの医師が注目されます。

その名前は高橋康之医師。彼は羽田空港が近い鎌田で開業している医師です。

その数奇な運命があったということですがどういったものか見てみましょう。

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羽田沖日航機墜落事故

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今回の舞台は1982年2月9日に日航福岡発DC-8機が機長の逆噴射により滑走路南の東京湾上に突入したというもの。

海中で発見された死者は20人。機内で亡くなった人は4人。149名が重軽傷社が出ています。

この原因というのがなんと、機長の意図的な操作が原因という驚くべき事実でした。

機長は事故の前日にも、離陸時には通常30度で機首を上げ機体を上昇させるのですが、70度もあげ副機長に修正されるという異常な行動をとっています。

この時に乗客よりクレームがあったが副機長は報告を上げず事故に至ったということで日航の管理体制の問題が浮き彫りにされました。

なんでも実は機長は事故の6年前から精神疾患を抱えていたということがあったようです。

つい先日ドイツで「乗務禁止」を言い渡された副操縦士が会社へ報告せず山へ突っ込んだという惨事がありましたが、昔から同様の事件があったんだと驚きでした。

数奇な運命

高橋さんの病院は父親の跡を継いだ病院でした。実は今回の事故がある前に父親も同様の事故に遭遇していました。

どの事故なのか調べてみましたが、死者数から推定するにカナダ太平洋航空炎上事故ではないかと思います。ただ、wikiで記載の「カナダ太平洋航空402便着陸失敗事故」については事故現場と説明の内容が異なっているので詳細について定かではありませんが、言葉の違いから管制官との意図が通用しなかったものではないかと言われています。

この時に高橋さんのお父さんは現場に立ち入りもできず何もできなかったということで「俺は誰一人救えなかった」と苦しむ父の姿が目に焼き付いていたと語っています。

その後高橋さんは時間を見つけては航空関係の専門書を読み漁り不測の事態に備えていたとのこと。

そして、1982年2月9日に今回の事故が発生してしまいます。

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救助活動から1時間が過ぎ、機内の生存者が最後の一人を迎え消防指令からの要請を受け救助に向かうことになるのです。

機体は途中で折れ、折れた前方の天井部分が要救助者の腹部に食い込み簡単には救助ができない状態でした。

機内で通常のカッターを使うと火花が散り、燃料への引火が懸念されたため火花の出ない特殊な歯のカッターを使うも中々切断できず、2時間が経過。

要救助者の血圧が低下し測定不能にまで陥ります。一刻を争う事態に高橋医師は椅子を解体する方法を提案。

見事その作戦は功を奏し、救助され一命をとりとめることができたのです。

高橋康之医師の現在

医師が近くにいて、少しでも早く駆けつけることができたら救える命がもっとあったかもしれないということで「ドクターボートセンター」というボランティア団体を組織していらっしゃいます。

ドクターボートセンター(公式サイト)
○組織の概要
ドクターボートセンターは、東京国際空港9km圏内の海上において航空機事故が発生した場合に、東京国際空港長の出動要請を受けて医療救護活動を行う民間のボランティア団体です。
ドクターボートセンターは、医師、看護師をはじめ船長、甲板員その他の協力者によって構成されており、東京国際空港長から出動要請があった場合に、同センターに登録されている船舶に分乗し、消火救難機関などと連携して前記の医療救護活動を行うことを目的としています。
現在、ドクターボートセンターには活動の拠点である呑川に本部を置くとともに、多摩川、中川、江戸川、荒川、横浜にそれぞれ支部があり、協力員総数70人、登録船舶数20隻により緊急時に対応できるよう協力体制が築かれています。

事故がないことが一番ですが、万一に備えて態勢を整えていらっしゃるのは素晴らしいことですね。


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