ブルース・エドワーズとトム・ワトソンの物語
今回はゴルフに関する話題。トム・ワトソンは言わずと知れた世界ゴルフ殿堂入りした人物。
日本では青木さんが入られていますね。
そのトム・ワトソンとキャディーのブルース・エドワーズさんの物語です。
出会い
トムはスタンフォード大学出身というかなりのインテリ
1971年11月にプロゴルファーになると決意し、その翌月にプロテストに合格し、翌年からツアーに参戦します。
しかしながら戦績は賞金ランキング78位という結果に。
2年目にブルースと運命的な出会いを果たします。
ブルースをキャディーに採用した年にはなんと一気に賞金ランキング35位にまで浮上
その後、戦績を重ね1975年にはコンビで初優勝を果たします。
マスターズ2回優勝、全米オープン1回優勝、全英オープン5回優勝しており、メジャー通算8勝は歴代6位
そして、1988年には世界ゴルフ殿堂入りを果たすのです。
不遇の時代
ゴルファーのピークとされるのは30代まで。トムも同様勝てなくなっていきます。
その時、ブルースには他の一流プレーヤーから声がかかるようになります。
それを知ったトムは、別々に活動することを提案。
1989年から1992年の3年間はグレッグノーマンのキャディーを務めます。
しばらく分かれて活動することになります。
コンビ復活
3年度に再びコンビとして復活することになります。
なかなか戦績があげられない時トムはブルースに「僕のキャディをやってもらっても、充分な収入にはならないと思う。もっと有望な選手のバッグを担いでもいいんだよ」。ブルースは答えた。「いや、僕はトムのキャディであることに誇りを抱いている。僕の誇りを奪わないでくれ」というやり取りがあったとか。
なかなか勝てないことに対しての弱気な部分が垣間見れますね。
ブルースのALSが発覚
2002年にブルースが不治の病に侵されていることが判明。病名は ”筋萎縮性側索硬化症(ALS)”余命は1年と宣告されました。
その知らせを受けて参加した数年ぶりの2003年の全米オープン。
50代を超えてのツアー参加で誰しも期待していなかった中、なんと初日TOPで通過することになります。
この53歳で初日TOPという新記録を打ち立てたこと、難病を押して健闘したブルースに対する拍手と歓声が上がりました。
結局は28位でツアーを終えたのですが、二人の活躍に感動を奪われることとなります。
その4か月後ブルースがなくなることになるのですが、その病床での一言がまた感動的
ブルースが「僕は、もうトムの役には立てそうもない。だれか別のキャディを見つけてくれ」。ワトソンは、はっきりと首を横に振った。「いや、僕たちのコンビは、ギブアップしない。キミがベッドに寝たままでいたいと言い出すまではね。それとも、僕をひとりでコースと戦わせたいのかい?」
そう、トムがスランプ時にワトソンに投げかけた言葉をそのまま返したのです。
その後
ブルースがなくなった現在も、トムは現役を続けています。
60歳が出場制限とされる大会で優勝争いを行う善戦を繰り広げ、その実力で制限を撤廃させるという協会を動かし、65歳で臨んだ2015年4月9日の第79回マスターズ初日に71で廻り、マスターズでのアンダーパーのラウンドの最年長記録を更新するなど活躍されています。
ブルースとの友情秘話がなければここまでなることはなかったのかもしれませんね。
今後の活躍に期待です。
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