西鉄バスジャック事件の判決とその後は?被害者の現在の思いに涙!
お盆休みも終わり、普段の生活に戻り思い出を糧に仕事に励んでいる方も多いでしょう。
行楽シーズン楽しいことばかりでもありません。
15年前のゴールデンウィークに起こった事件を覚えているでしょうか。
佐賀駅バスセンターから出発した福岡・天神行きの西日本鉄道高速バス「わかくす号」が、17歳の少年に乗っとられた「西鉄バスジャック事件」です。
東に向かって走りつづけるバスの中で、少年は3人の女性客を切りつけ、1人を殺害しました。
今回はその事件の加害者・被害者がその後どうなったのか。
引き起こされた事件について調べてみました。
西鉄バスジャック事件概要。
2000年5月3日 | |
12時56分 | 佐賀駅バスセンターから出発 |
13時30分 | 「天神には行くな。このバスを乗っ取ります」と言ってジャック |
寝ていてきずかなかった高取千佳さん(当時34歳)を切り付ける。 | |
逃げたら危害を加えるとおどしトイレ許可を出したが、1人目は小型犬を抱いた女性(当時40歳)が逃走 | |
14時47分 | その女性により通報 |
山口由美子さん(50歳)が報復として切り付けられる | |
15時09分 | 緊急配備 |
15時35分 | 警察車両がバスを発見追尾 |
女性(当時30歳)が窓から飛び降り脱出 | |
塚本達子さん(68歳)が傷害を受ける。 | |
15時45分 | 自身で110番 |
16時21分 | 下松SA付近で一旦停車させられたのち発進の際に男性(当時52歳)脱出 |
すでに傷を受けていた塚本さんをさらに切り付ける。 | |
17時24分 | 武田山トンネル内で残る男性4人を解放 |
17時50分 | 奥屋PAに誘導。防刃チョッキの交換条件で怪我を負っていた3人の女性を解放。 |
塚本さんの死亡が確認。高取さん山口さんともに重症。 | |
21時37分 | パトカーに先導され発進 |
22時34分 | 最高齢の女性客を解放 |
2000年5月4日 | |
0時過ぎごろ | まくらやおにぎりが差し入れがされるも口をつけるものが少ない |
午前5時頃 | SAT突入 |
(参考:オワリナキアクム) |
参考サイトをみてみたところ、乗っ取る際には淡々と発言したり、男性を後ろ女性を前に配置。
すぐに手が出せないようにしたり、途中で男性を下すなどの戦略を使っています。
また、逃げたら危害を加えると脅し実際に逃げ出すものがいれば危害を加え、恐怖で支配しているのがわかります。
実際にその場にいたら相当な恐怖であったことでしょう。
また、抵抗もできない6歳の少女を手元に置き周りをコントロールするなどその子の将来にはどれだけのトラウマがのこるか。
現在21歳になっていると思いますが、平穏に暮らしていることを強く願わずにはいられません。
犯人の人物像
昭和58年3月 佐賀 生まれ
共働きの両親と活発で社交的な妹との4人家族。
父親はサラリーマンで、学校のPTA活動にも積極的に参加するタイプ。
母親は、保健婦としてフルタイムで働いていた。
妹は、少年と正反対の自己肯定感あふれるタイプ。(引用:少年犯罪事件史)
引用先からのまとめですと
- 小中学途中までは学業優秀だが運動が苦手
- 運動が苦手でいじめをうける
- その分学業で優位に立ち周りを見下す傾向
- 高校受験前にクラスの挑発に載せられ階段の踊り場から飛び降り着地失敗で頸椎損傷の重傷を負い入院
- ワンランク下の高校を受験することになる。
- 劣等感にさいなまれ校風が合わないと退学、ひきこもるように
- 鬱憤から母親・妹に対し家庭内暴力が始まる
- パソコンを購入してもらいネットに入り浸る。
- ネットで自身の存在感を見出そうとするが、罵詈雑言の嵐でさらにひきこもる。
- 父親は少しでも外に連れ出そうとドライブに誘う。
- そのうち自分からドライブに行きたいというように。
- ドライブに行っている間に母親が部屋で「犯行声明」のようなものと牛刀、バタフライナイフ、サバイバルナイフ、包丁、スタンガン、テストハンマー、催涙スプレーを発見
- 心を開き始めた矢先に医療保護入院させられ、裏切られたと感じるように。
- 病院では周りにはおとなしく異常性は見られない。
- 両親が面会に来た時には、「貴様ら、前から僕を精神科に入院させることを考えていたのか。この恨みは絶対に忘れないからな。覚えていろよ」などと罵声を浴びせる。
- 一時退院の許可の際に事件を引き起こす。
なんか負のスパイラルという印象です。
両親は何とか外に出そう。
まともにしようと奮闘されていたようですが、裏目に出てしまった。
学校もいじめの申し出を認めず、受験の大事な時期に怪我を負うことになった。
本当は自分をこういう状況に陥れた中学校を襲撃する予定でしたが、連休ということでバスジャックに変更したようです。
判決
6月5日、広島地検は「刑事処分が相当」と、佐賀家裁に送致。
同家裁はAに対して精神鑑定を行ない、「自分が自分でなくなる感覚の解離性障害や行為障害症状が見られ、精神分裂病を発症するおそれもある」という結果。9月29日、佐賀家裁、Aを5年以上の医療少年院送致を決定。(参考:オワリナキアクム)
2007年1月、23歳で、医療少年院から仮退院し、3ヶ月の保護観察処分を経て、社会復帰しています。(参考:ameblo)
2014年のバスジャック!⇒”もう一つの西鉄バスジャック事件!その裏には何があったか?”
被害者のその後
被害者の山口由美子さんは希望し2005年4月から8月にかけて医療少年院側から打診を受け3回面会。
その際、元少年から謝罪をうけます。
山口さんは次のようにおっしゃり元少年を恨んでいるわけではありませんでした。
「誰からもわかってもらえず、
つらかったんだね」
と伝えました。
彼もまた
私に心からの謝罪を述べてくれたと思っています。願わくば、少年院に入った事を契機に生まれ変わり、二度と罪を起こさない一生を送ってほしい。
10ケ所程(顔・後頭部・首・腕)などを切り付けられ、死の淵をさまよった方の言葉です。
外からではいまだ残る顔の傷をつけられ、うらまでおるべきかと思ってしまいますが感服しますね。
亡くなられた塚本さんも山口さんの知人で、ご家族から財布にはいていたおみくじに入っていた言葉をしらされます。
その言葉が
「たとえ刃(やいば)で刺されても恨むな。
恨みは我が身をも焦がす」
今回の事件を示唆していたように感じてしまいます。
塚本さんは小学校教師を29年間務め、その後幼児室を開設される教育者。
山口さんのお子さんが不登校になった時に支えられた師であったそうです。
その塚本さんのご家族は「会いたくない」とおっしゃっています。
対照的なお二人ですがその理由は、
「もう会いたくない。許すための道筋を示してきたのに彼はそれをしてこなかった」。今は顔を知らないことが救いとさえ思える。「知っていれば街で探してしまう。恨んでしまうから」(引用:佐賀新聞)
塚本さんのご家族は事件後、お子さん2人とも不登校に陥り大変苦しんだご様子です。
自分が死ぬための死刑を望み家庭をめちゃくちゃにした相手に恨みこそあれ「会いたくない」という気持ちもわかりますよね。
それだけのことを受けながら、お二人とも少年の更生を願っていらっしゃる。
「少年が死刑になっても遺族は救われない。ただ、本当に更生したのならば、母も僕も許せるかもしれない。救われるかもしれない」
事件に当面した方のお言葉を見ると、涙が出ました。
ネットでは元少年の名前なども探せばすぐ出てくる時代。
今回も例外ではありません。
しかし、それを突き詰めたところでどうなるでしょうか。
行った罪が消えることはありません。
元少年には自信が行ったことに向き合い、一生償い生きていくことを強く願います。
情けないしか。 もしハイジャクされた時に俺も遭遇してたら…犯人は女性ばかりが乗客を盾に、この犯人は息長えられた事に感謝しろ。 タックルされて、バスの前部に叩きつけられ苦しまない思いをしなかっただけ。
一生 幸せはない、苦しんで償って 自身と向き合うことに!