沼尾博行・宇都宮餃子を全国へのし上げた仕掛け人!その軌跡とは!?
いまでこそ餃子で有名なところと言えば宇都宮というのが主流になってきましたが、餃子で町おこしを仕掛けた張本人はどのような人か調査しました。
プロフィール
沼尾博行(ぬまお・ひろゆき)
生年月日:1947年
出身:栃木県
経歴:玉川大学文学部卒業。
民間会社を経て、1972年宇都宮市役所入所。
教育委員会学校教育課、広報課を経て
89年に商業観光課観光係長となり「餃子のまちづくり」を仕掛ける。
その後、ワールドカップ推進室長、農林振興課長、地域振興課長、スポーツ振興課長、商工部長
㈱ろまんちっく村社長などを歴任2007年3月末退任
現在株式会社五光顧問
背景
89年時はバブルまっただ中で商業観光課の係長になった翌年からこの偉業は始まります。
1990年に唯一の観光資源である大谷石の採掘場跡地が大規模な陥没に襲われます。
陥没の原因は古くから宇都宮は大谷石が特産品であり、50年以上前の採掘場跡が地盤がもろくなり陥没したというものですがメインの観光資源でもあった場所がこういった事故に見舞われ観光課としては何とかイメージを払拭する打開策を検討していました。
同じ年に開催された研修で宇都宮が餃子の消費量が全国一であるという家計調査を目にし、宇都宮餃子で町おこしをしたらどうかという提案がありました。
沼尾さん自身餃子が好きでよく食べ歩いていたこともあり、「これだ!」と直感的に感じ餃子で町おこしをすることに決めたそうです。
いまでこそB級グルメということで「食」で町おこしをするという概念が広まっていますが、初めにそれをしようと考えるなんてやっぱり変人てことかもしれませんよね。
私自身変人が世の中を変えると思っているので、あながち間違いではない気がします。
にしても、なぜ餃子の消費がそんなに多かったのか気になったので調べてみました。
なぜ、宇都宮が餃子の消費が日本一だったのか
これは時代背景が影響していたようです。
栃木県は、ニラ、白菜、キャベツ、小麦の産地であり、戦後の食糧難の時代、材料を調達するのが容易であったこと。
手軽でお年寄りから子どもまで安心して食べられたこと。
貧しい生活のなかでも、栄養価の高い餃子は、食卓に欠かせない一品となり根付いていったようです。
たしかに戦後なんて、なかなか食料品も流通しないでしょうからね。地元でとれるものを使っていく。
どこにでもある土地の名物の一つだったんですね。
宇都宮の餃子は野菜が多いっていうのも起源がわかれば納得ですよね。
ブレイクまでの道のり
なぜ餃子なのか?バブル後期ではありますがまだ真っ只中。
「餃子でまちづくりなんてダサい」と市民の声もあり市役所職員ですらまともに取り合ってくれなかったと言います。
そんな中でも粘り強く店を回っているうちに5人の餃子店経営者が話を聞いてくれるようになりました。
そこで餃子を使った街づくりについて説明するうちに理解を示され、やってみようとなったそうです。
その時の一人が宇都宮餃子の代表店舗でもあるみんみんの社長伊藤信夫さんです。
お披露目イベントで会員を募り1993年に「宇都宮餃子会」が発足します。
一旦協力することに決めた民間の方のバイタリティーはすさまじく、市の予算が出るわけでもないが「Tシャツ作成」をすることになったりとどんどん企画内容が膨らんでいったとのこと。
ブレイク
それは、今でこそ深夜の通販番組でしか見なくなりましたが、山田邦子さんが司会を務めていた人気番組の「おまかせ!山田商会」で紹介されることが決まってからです。
もともとは、地元の高校性が学園祭を盛り上げてほしいという要請があったことがきっかけですが、ネタ探しにでも観光課を訪れたんでしょうね。
その時にここぞとばかりに「いま宇都宮の餃子がアツい!」ということを熱弁されたようです。
その熱意が伝わり、餃子を売り出すプロジェクトを7回連続で放送することが決まったそうです。
市長の許可も得てプロジェクトが立ち上がったのですが、すでに予算が通った後であり今回のプロジェクトの資金は市側としては出せない状態だったのです。
現在の餃子像はその時に作られたものですが有志により無料で作成され、放送の締めくくりである「餃子フェスティバル」も地元のイベント会社社長が無料で請け負ってくれたということです。
放送されてからは反響が大きく、餃子目的で宇都宮に訪れるお客さんが多くなり今の形にまで広がることになりました。
その後
「宇都宮餃子 来らっせ」の創設。宇都宮餃子会に加盟する27店の味を、日替わりメニューで味わえる「餃子のテーマパーク」で、わざわざ来てくれたお客さんがあちこちのお店に行くのは大変だろうという考えからつくられたようです。
ここでは4個入り100円という価格で食べ比べができるようになっています。店舗側も利益を求めるのではなく広める目的で提供しているようです。
福岡のラーメン博物館しかり、地元の名産を1か所で食べられるような仕組みも今では一般的ですが、その原型を作ったのも宇都宮餃子からというのが驚きですね。
沼田さんは次のように言っています。
好きなことを見つけたら、動いてほしい。動きながら考え、次のステップをめざし軌道修正してほしいと思います。
常にチャレンジ精神を失わず、そして仲間を大切にしてほしいと願っています。
まさに今の自分に必要なことですね。
今自分の置かれた状況をみて、とりあえず動く。
動かないと何も始まらないということを肝に銘じていきたいと思います。
では。
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