古代都市ポンペイ発見された空洞の恐ろしい事実とは?
「世界丸見え!テレビ特捜部」にてポンペイに町が火砕流により丸ごと飲み込まれたが遺体が一つも見つからない不思議を特集するようでした。
遺体が一つも見つからず、不可解な穴ばかりが見つかる。。
一体どういうことなのか気になり前もって調べてみると恐ろしい事実が。。
古代都市ポンペイとは?
まずは時代背景から。
ポンペイは西暦79年に巨大火山ベズビオ山の噴火によって滅びたとされています。
ちょうど地中海はイタリアの都市ですね。
約2000年前いわゆるローマ帝国時代とでもいうのでしょうか。
この町もローマ帝国に紀元前に征服された町の一つです。
征服後には商業都市として栄えていたようです。
裕福さがわかる話として
・ある宴会では、あふれんばかりのごちそうが並べられているテーブルの前で、口の中に棒や羽根を差し込み、今まで食べたごちそうを吐き散らし、胃の中を空っぽにして、また別なごちそうにかぶりつくという事が行われた。
・市内には大小4つの公衆浴場があった。
・ポンペイには、娯楽施設として、二つの劇場と円形闘技場があった。
・劇場では、音楽の演奏会や詩の朗読、ギリシアの劇などが上演された。(引用:時に忘れられた街)
など。
吐いてまで食べるってどれだけだよ。。
知り合いにも食べ放題に行くとそうしたいと望むヤツがいて引いたのを思い出しましたw
運命の時
紀元79年8月24日、真夏のうだるような暑い昼下がりに、突然と噴火は始まります。
その後一昼夜にわたって火山灰は降り続け、その降り積もった灰は20mともいわれています。
予兆はなかったのか?
元々、数日前には噴火の予兆ともいえる地震がひっきりなしに続いていました。
しかしながら多くの市民は楽観的に考えそのうちおさまるだろうと考えていたのかもしれません。
2000年たったいまでは地震と火山の因果関係など知られていますが、当時の人々が想像できたとも思えないですね。
発見された空洞の秘密
その後、町が作られることはなくまさに忘れ去られた町となったわけですが、1700年間火山灰の下に眠っていたポンペイを目覚めさせたのは、一人の井戸掘り職人だったといいます。
18世紀の初め、ポンペイ近郊の別荘で井戸を掘っているとき、美しい大理石の像を見つけたのをきっかけにモザイクやフレスコ画、金や銀の食器、様々な日常家具類などが続々と出土してきてそれ以降本格的に発掘作業が行われたようです。
あれだけの災害にもかかわらず、人骨などが一切見つからず複数の空洞ばかりが発見されます。
実はその空洞が人の跡だったのです。
つまり、遺体が腐敗分解されて火山灰に包まれて鋳型のようになってしまったということです。
そこに石膏を流し込み取られたのがこの画像となります。
ぼこぼこ見つかった穴の正体がこれだったとはまさに驚愕ですね。
その発掘など調査が進むにつれ事態が明るみになってくるのですが、人骨についてはずっと見つからないままだったといいます。
それが1980年代に入ってようやく人骨が発見され始めたのです。
2000年近く前の出来事がようやくわかり始めた。
その時の栄華は中世のヨーロッパでもしのぐことはできなかったという方もいるように、現代に生きる自分としても先行き不安に駆り立てられる出来事だと感じた事件でした。
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