三笠優子さん隠し子騒動噂の真相?驚くべき芸能事情が明らかに!
芸能界ってチラホラでてくる週刊誌の情報しか知らないのですが、手厳しい世界ですね。
今回は三笠優子さん。かつて日本レコード大賞ロングセラー賞を受賞され100万枚を売り上げた演歌歌手に注目してその厳しさに迫ってみたいと思います。
プロフィール
名前:三笠優子(みかさ・ゆうこ)
出身:愛媛県西宇和郡
生年月日:1949年3月10日
公式サイト:三笠優子オフィシャルホームページ
初めは浪曲という大衆娯楽の華に興味をもち15歳で、大御所の内弟子となります。
浪曲とは・・・三味線を伴奏に従え五七調の独特なリズムにのせて物語を語るというもので、現在のようにTVが普及していない時代の大衆娯楽の最たるものでした。1曲30分を超すものも普通でかなりの体力がいりそうですね。
その後体調不良にともない、浪曲の道を断念しましたが歌への思いは忘れられず博多でクラブ歌手をされていたようです。
その時、記念で作った歌が有線で人気が出て1977年にメジャーデビューをすることになるのです。
3作目の「夫婦舟」が1979年に有線でロングヒットし昭和57年第二十四回日本レコード大賞 「ロングセラー賞」を受賞します。
その後「アルバム賞」までも受賞されるという経歴をお持ちです。
隠し子騒動噂の真相-順風満帆に見える影
実はデビュー当初すでに三笠さんはご結婚されており3児の母でした。
現在では、コテコテのアイドルではなかなかそうもいかないのでしょうが、彼氏彼女の存在を隠していないタレントさんはわんさかいます。
いるいないを公表するのも比較的自由になっているようですが、アイドル全盛の当時。三笠さんも例に洩れず社長からは公表しないよう強く約束させられていたようです。
初めはそこまで売れると思っていなかった三笠さんもそこまで考えていなかったようですが、Hitと共に苦痛を感じるようになります。
しかも、「夫婦舟」「夫婦川」「夫婦橋」という夫婦3部作の最後「夫婦橋」のテスト版ができた日にご主人を交通事故で亡くしてしまうという悲劇に会われています。(参考:Oricon Style)
現在でも演歌は1本売れれば御殿が立つと言われているだけに、相当な収入があったのかと思いますがなんと衣装代込の20万の月給制。
営業の仕事も1本200万の相場で、月10本以上もこなしていたためそれなりに収入があるはずですが儲かるのは事務所社長だけ。
社長が新築で家を建てても賃貸暮らしで、博多のクラブ歌手として蓄えた貯蓄を切り崩す日々だったようです。
10年目でようやく50万に上げてもらったようですが、その後はそのまま変わらないという日々。
その他意見の対立からか事務所を独立しようとした際には社長から『週刊誌に隠し子がいることを売る』とおどされることとなったようです。
ご主人は亡くなったものの既に結婚して子供をもうけているため、特に隠し子いうわけではないと思いますが面白おかしく掻き立てる週刊誌は真実のごとく出してしまったのかと思います。
その後、娘のようにかわいがられてたという吉本興業の初代社長である林正之助氏に相談し、無事独立を遂げます。
会長は大恩人であったと後に話しておられます。(参考:zakzak)
近況
昨年の2013年には肝障害で入院し、鬱病にも苦しめられるなどまだまだ苦難に襲われているようです。
しかしながら、この春(5月)に2年ぶりの新曲をリリース予定など精力的に活動されている姿には頭が下がりますね。
苦労した分だけ歌に厚みが出る。演歌歌手という三笠さんにはそれを糧に飛躍してもらいたいと思います。
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