三重県津市中河原海岸36人の犠牲者を出した最大の海難事故とは?
1955年7月28日三重県津市中河原海岸で国内最悪ともいえる水難事故が起きました。
立橋北中学校の女子生徒36人が、同市中河原海岸(文化村海岸)で水泳訓練中に溺死してしまうという事故です。
なぜそのようなことになったのでしょうか。
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今では当たり前の水泳の授業ですが、当時は水泳の授業はなかったんです。
同昭和30年の5月に紫雲丸というフェリーが瀬戸内海で事故を起こし100人を超える児童が犠牲になっています。
その1年前には洞爺丸の事故などフェリーの事故が続き水泳指導の重要性が考えられ各学校にプールの敷設などが進んでいったということがあります。
今回はそんな水泳の授業が始まったばかりの事故ということになります。
現場の文化村海岸は以前から同校が水泳訓練を行ってきた場所で、安濃川河口右岸から南方に広がり満潮時にも数十m幅の砂浜を残す遠浅の海です。
深さも1mほどと、そこまで深い場所ではありませんでした。
準備運動を済ませ、水に入った2~5分後に水泳場東北隅附近で100人前後が足を取られおぼれてしまいます。
遠浅な場所で1mの深さであれば大人の現在では大したことないかと思いますが、 昭和30年ごろの女子小学生(4年生以降)の平均身長は120~130cmということなので、肩までつかるというところですね。
人は膝くらいの深さの場所でも溺れることがあります。
現在ではその事実は広がっていますが、当時としては知る由もなかったでしょう。
原因
急激な水位の上昇があり、異常流に流されたというもの。
ではその水位の上昇や異常流はわからなかったのか。
すぐ隣の男子の水泳場でそのことに気づいた男子はほとんどいなかったというから謎が多い。
諸説ありますが、ザクッとまとめると次のような説。
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沿岸流(ロングショアカレント)説
当時発生した台風により引き起こされた波が届き引き起こされた。
副振動説
河口でよくあり淡水が上に海水が下になって密度の異なる二重層が形成されるので異常流が発生しやすい。
噴流説
河口の水と海の潮の流れが合わさり急激な流れができた。
蹴波説
大型船が通った後の船がかきわけた水波が到達。
裁判では原因を立証するのは難しいということで、特定はされておらず犠牲者の冥福を祈る判決が出されています。
異説
救助された女学生の間では「亡霊にあった!」という学生が多かったとか。
そのもととされるのが事件から10年前の1945年7月28日に津市はB29の大空襲に遭遇します。
その時に人々は逃げまどいますが、警察署の地下に逃げた住民は空襲の火事の煙に巻かれて窒息死してしまったそうです。
その時の被害者が火葬が間に合わずこの海岸に埋められたというもの。
救助された女学生が見たのもずぶぬれになった防空頭巾をかぶった女性だったとか。
今回の事故の後、毎年7月に人がなくなり死体もあがらないという不可解な事故が4年続けて起きたんだとか。
何かしらありそうな感じですよねorz
最後に
これから夏真っ盛り。お盆を過ぎたらクラゲも出てきます。
海に行かれる方は浅ければ大丈夫という安心感は捨てて安全第一で楽しんでくださいね♪
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