土田康彦が琉球ガラスにヴェネチアングラスの息吹を!その作品は?

 


TV番組Crossroad(東京TV系)で放送されると予告を見ました。

 

世界に名をとどろかすヴェネチアングラス。

特徴は長い歴史に基づいた高い技術力が発揮された装飾性ですが、

歴史がある場所というのは世界中どこでもよそモノには厳しいもの。

しかしながらその起源とも言える地ムラーノで、なぜ日本人で唯一公房を構えることが

できたのか。

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鮮やかなガラス工芸にワイルドな風貌というアンマッチな映像もあいまみ

興味がわいて調べてみました。

 

プロフィール

TsuchidaYasuhiko

名前:土田康彦
生年月日:1969年(昭和44年)7月30日
生まれ:大阪
公式サイト:TSUCHIDA YASUHIKO
Facebook:Tsuchida Yasuhiko

1969年 大阪市に生まれる
1988年 辻調理師専門学校卒業後、パリに移住し、食と芸術の道を目指す
1992年 ヴェネツィアへ住まいを移す
1995年 ムラーノ島にてガラス制作を開始
1996年 スキアヴォン・ガラス社 アートディレクターに就任
日本の竹をモチーフとする『バンブー・コレクション』を発表
2003年 ヴェネツィア・ガラス研究所理事長しに就任

ヴェネツィア・ムラーノ島に工房を構える唯一の日本人。
作風はガラス、油絵を中心に、映像、インスタレーションなど多様
特筆すべきは、強いメッセージやコンセプト、哲学が各作品の根底に
揺らぐことなく一貫して存在しているという点である。

受賞歴

2004年 デュッセルドルフにて名誉技術賞 受賞
2008年 トスカーナ・グロセト市より文化振興貢献者褒章 受賞
オープン国際彫刻展 最優秀グランプリ受賞
2014年 第53回日本現代工芸展 現代工芸賞 受賞

コチラの経歴をご覧になってわかるとおり、

土田さんは一度も芸術の勉強を専門的にされたわけではありません。

 

日本での知名度は低いものの、海外、特にヨーロッパでの

活躍され知名度が高いのがわかります。

tuchida_sakuhin
(作品)

そんな彼はどのように誕生したのでしょうか。

 

芸術家:土田康彦の誕生

芸術家への思いは小さいころお母様をなくされてから

何度となく繰返し見てきた心象風景を誰かと共有したいという

強い思いがあり、表現することへの憧れを

ずっと持っていたようです。

 

しかしながら、芸術では食べていける自信がない

そこで、手に職をつけたいという思いから

料理人を目指してたそうです。

以前記事を書きましたが、その辻調理師専門学校を卒業し

そのままパリの日航ホテルへ就職しました。

 

就職後さらなる飛躍をめざし、ヨーロッパで知らない人はいない

ヴェネチアにある1931年創業の「ハリーズ・バー」に移りました。

また、この時のエピソードもかなりのもので数回電話の上、確約も

ないまま、大きなトランクをもって面接を乞いにいったとのこと。

 

ハリーズ・バーはヘミングウェイをはじめとした

多くの芸術家や大富豪。さらにはエリザベス女王までが訪れたという

由緒正しきレストランバーなのです。

このハリーズ・バーは現在のイタリアンメニューの定番である

「カルパッチョ」やカクテル「ベリーニ」を考案した店でもあり

かなりの老舗ということになります。

 

そういった店に、飛び込み同然で行く行動力。

普通じゃできませんよねw

 

しかしながら、面接をしてくれたそのお店にも感銘しますが

2代目店主のチプリアーニは、目を見たときに若干20そこそこの若者は

自分自身が何をしたいかわかっていると感じ、即働いてもらことに

したそうです。

 

やっぱり、人の中にあるもの。それをしっかりと持っているのって

相手に通じるんですよね。

 

その後、料理の修行も続けながら芸術への思いも捨てられず

夜には絵を描き続けていたそうです。

 

また偶然にも、その住枚の隣はピカソ、シャガールなどの絵画が集めれていた

現代美術館だったとか。

 

芸術に近いところにいたこともあり、土田さんは芸術家への思いが捨てられなかった。

そこで背中を押してくれたのがチプリアーニです。「君は芸術家だ」と

 

チプリアーニは、料理もサービスもクリエイティブな仕事であるという信念を持っており

土田さんの書き溜めた絵画をみて、これまでの人生は芸術家への準備であったと

見抜いたようです。

 

この一件があり土田さんは意を決し、芸術家への道へ歩むこととなりました。

 

ヴェネチアングラスとの出会い

 

ヴェネチアに移住してから日本に留学したこともあるという

ムラーノ島に住む女性と出会い、2人は結婚しました。

なんとその彼女がヴェネチアングラスの古い工房のひとり娘だったのです。

まさに運命ですね。

 

そこでヴェネチアングラスに出会うことになるのですが、

いくら一人娘の旦那だからといって、よそ者である彼がすんなり

伝統工芸の由緒ある公房に入るのは安易なことではないと

想像がつきます。

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しかし、やはり運命なのか彼の才能が認められ

アートディレクターとして活躍することになります。

 

ヴェネチアングラスとは

ヴェネツィアン・グラスは鉛を含まないソーダ石灰を使用する事が特徴で、コバルトやマンガンなどの鉱物を混ぜることで様々な色合いを表現することが出来る。 混ぜた鉱物により硬度が変化し、赤色のものが最も硬度が高い。
高い装飾性も特徴である。基本的な製法はソーダガラスを使用した吹きガラスであるが、空中で吹くことにより極薄に吹き上げる技法や、グラスを細く引き伸ばしそこに竜や花や鳥などをモチーフにした複雑な装飾を施すなど、「軽業師の妙技」と呼ばれる高度なテクニックが用いられる。(wiki)

ヴェネチアングラスの起源には諸説あり、正確な起源は謎に包まれているようです。

しかしながら、現在の主な説では1300年ごろ中世ヴェネツィア共和国が、その当時

大変貴重とされていたガラス製品を生産したころから始まったとされています。

 

ヴェネツィア共和国ではガラスの原料が乏しくこのため諸外国でガラス製品が

つくられることへの懸念と技術力の漏洩をおそれ1291年にガラス職人と家族を

ムラーノ島へ強制移住させました。

島外に逃げる者は厳しく罰し功績を挙げたものには手厚い褒章を与えるという法令を

つくり、狭い地域での切磋琢磨で技術が向上しました。

 

15~16世紀には、ベルサイユ宮殿の鏡の間にはムラーノ島から連れてこられた職人によって

作られたといわれるほど貴族に高くもてはやされました。

 

その長い歴史によって熟練された技術が親から子へ伝わり現在のものとなったのです。

venetianglass_1 venetianglass_3

スゴイ綺麗ですね。現物を見てみたいです。

右端のものなんかかなり薄いようですが、貴族のあいだで毒が入ったものを入れると

割れるとの都市伝説まであり、珍重されたようです。

 

琉球ガラスとのコラボ

これまで、数々の個展を開いてきている土田さんですが2014年の今年は

沖縄の琉球ガラス工芸協業組合からの長年の要請により

琉球ガラスになかった完成したガラスを加工する

研磨・カット技術の導入を目的として技術交流を行っています。

 

今年の9月まででイタリアに帰国されるようですが、今回の経験から

新しい作品が生まれるのがたのしみですね。

tutida_ryukyuglass
(引用:沖縄times

 

おまけ

土田さんの公式と思われるYoutubeアカウントに映像作品が

ありましたのでごらんください。

 


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