江美早苗~中里綴へ。西野バレエ団として活躍したが最期に何が!?

   2015/12/25


60-70年代に歌って踊れるアイドルとして活躍した人物。一旦芸能界を退いたが、作詞家中里綴として華麗な転身。

その悲惨な最期が取り上げらるようで、気になって調べてみました。

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プロフィール

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名前:神田恵美
芸名:江美早苗:神田エミ
生年月日:1951年3月15日
出身:広島県松江市

6歳からバレエを習い始め、小学校2年生になった1958年(昭和33年)、西野バレエ団に入団する[1][4][5]。1966年(昭和41年)3月、松江市内の中学校卒業後、同年4月、島根県立松江北高等学校に進学するも、親の反対を押し切り同校を中途退学して東京に移り、同バレエ団で活躍、やがて金井克子、由美かおる、奈美悦子、原田糸子と並ぶ5人娘と呼ばれるようになる。(引用:wiki

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由美かおる

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奈美悦子

1968年にはフィリップスレコードというレーベルからソロデビュー。その時のディレクターが後の夫となる屋代昭彦氏です。

1971年には今も放送されている「新婚さんいらっしゃい」の初代アシスタントとして抜擢されます。

半年ほどして降板した後は女優として活動をし翌1972年に21歳の時に引退して松山へ帰郷します。

再出発

帰郷して2年後、1973年に中里綴の名前で作詞家としてカムバックします。

南沙織さんへ提供していた歌詞で紅白に出場するなど、作詞家としてのキャリアを伸ばし、中森明菜さんや少年隊へも作詞の提供をはじめます。

私生活

帰郷してからずっとレコードデビューしたときのディレクターである屋代昭彦氏と共に過ごし8年の同棲期間を過ごします。

屋代昭彦氏は既婚者であったが、奥さんは江美早苗さんが引退する直前に自ら命を絶っています。

そのことから不倫を疑われていたという情報もあります。

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そういったことから両親も強く反対していたのですが、1981年に押し切り結婚されます。

長い間同棲していたにもかかわらず、この結婚は85年末には協議離婚という形で終息を迎えます。

この理由としては、作詞家として活躍する江美さんに対して独立して事務所を構えていた屋代氏の音楽事務所の仕事は激減。

すれ違いから夫婦仲は冷え込んで言ったというのが原因とされています。

事件

離婚後江美さんが引っ越したのは、夫婦で住んでいた場所の目と鼻の先だったそうです。

離婚後も屋代氏は双眼鏡で江美さんの行動を観察するなど、常軌を逸していきます。

車が釘でパンクさせられたり、引っかき傷をつけられたりと嫌がらせが続いたという話もあったようです。

無言電話も頻繁にかかってきたため、番号を変えたり、駐車場を変えたりしたけれどもおさまることがなかったんだとか。

そして、88年3月5日に事件は起こります。

復縁を迫る屋代氏がマンションに訪れたが、一向にかまわない江美さんに腹を立て浴槽の窓を割って室内に侵入。

牛刀とナイフをもって江美さんを追いまわし、ベランダへと追い詰めてナイフでメッタ突きにしたというもの。

なんと、刺し傷は全身22カ所ということでその恨みたるや尋常ではありません。

その後、すぐに警察に逮捕されるのですがその理由が次のようなもの。

・「離婚されて憎しみがつのった。(離婚した)2年前から殺してやろうと思っていた」

・「感情のもつれから憎しみを持ち、犯行におよんだ」

・「他に男をつくったのが憎い」

何とも身勝手なものでしょうか。

いまでこそストーカーという言葉が広く認知され、様々な対策が知られるようになってきていますが当時であれば全くもってどうしてよいかわからなかったというのが想像できます。

50歳で犯行を犯し、12年の実刑判決を受けたということで服役していれば62歳で2000年に出所されていることになります。

現在は75歳ということになりますが最期まで償ってほしいですね。

 

江美さんのご冥福をお祈りいたします(合掌)

(参考:日刊ゲンダイ)


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