宮澤崇史さん肝臓移植での葛藤があった!?その後の苦難をチェック!

 


現役まっただ中のスポーツ選手が生態肝移植のドナーとなる決意をした方の話がありました。

いったいどんな気持ちで臨んだのでしょうか。

その後の彼の活動に注目してみました。

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プロフィール

150205_miyazawa

出身:長野県
生年月日:1978年2月27日
身長:165cm
体重:60kg
血液型:B型
公式サイト:bravo
公式ブログ:アメブロ
公式Twitter:@Bravotakashi

生い立ち

彼は6歳の時に父親が他界し、母親に女で一つで育て上げられます。

中学校の頃に初めてテレビで「ツールド・フランス」を観て「すっけ~!かっこいい!!」と思い、心の中で強くロードレーサーになりたい!と思ったそうです。

母子家庭で決して裕福ではなかったようですが、母親が自転車を借りてきてくれて愛情を持って育てられたようです。

本格的な協議への参加

高校に進学してからなんと17歳の若さで世界選手権に出場し22位という成績を収めます。

卒業してからは自転車競技が盛んな海外へ自転車留学をし、経験を積んで数々の国際大会で好成績を収め、国内の大会でも19歳で「ツール・ド・おきなわ市民200キロレース」で優勝したことを皮切りに、20歳で全日本実業団いわき大会優勝。全日本選手権[U-23]4位、世界選手権日本代表などプロ選手になる為の実績を重ねます。

転機

そんな順風満帆な21歳の時に深い愛情を持って育てていてくれた母親がもともと持っていた持病の肝臓病が移植が必要なまでに悪化してしまうことになります。

HPや調べたサイトでは「ためらいなく」と記載されているところが目立ちますが実際はそう単純なものではなかったのではないかと思います。

実際の移植が行われたのが宮澤さんが23歳の時。綿密な検査もあったとはいえ2年ほどたっています。

また、母親は「やはり選手生命を立つようなことはしてはいけないんではないかと思っていた」と生体肝移植の公演の際におっしゃっています。

ドナーになった宮澤さん本人も移植に対する不安を尋ねられた時

選手として、ダメなんだったら、まぁ・・・やめるっていう。え~・・なというかな、という選択肢があって、選手として続けられるんだったらいままで続けられるという選択肢があって。まぁ大丈夫でしょう。選手として続けられます今まで通りできるでしょう。という選択肢だったので、じゃあ問題ないじゃん。っていう感じ(宮澤崇史 生体肝移植の経験を語る【シクロチャンネル】

と答えていらっしゃいます。

これが本当の答えだと思います。移植をしないという選択肢は決してなかったと思いますがそれに対する不安というのはあってしかるべきもの。

担当医の先生もおっしゃってましたが、それを感じさせない上昇志向が素晴らしいと感じました。

 

では実際どの程度の肝臓を提供したのかしらべてみると、500g提供することになったようです。

肝臓の大きさは成人男子で1200g~1400g、成人女子で1,000g~1,200gということなので約半分近くということになりますね。

ただ、宮澤さんは肝臓が大きい方だったというのも天の助けがあったのかもしれません。

どん底からの復活

移植手術の入院の後は数か月寝たきりで運動ができない状態でした。

体力の低下も激しく、自転車をこいだ時に足がまっすぐに伸びなかったそうです。

元に戻るまで2年掛かったとおっしゃっています。

しかしながら成績は伸び悩み、懇願してなんとか所属していたチームから戦力外通告を受けることにになります。

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常人であればここでへたってしまいそうになりますが、宮澤さんはそうではありませんでした。

母親の心配をなくすためにも結果を出すしかないと強く感じており、26歳から個人としてヨーロッパでレースに参加し始めるのです。

必死の努力が実り各大会で好成績を残すまでになり、29歳の時には世界大会で2位という結果を残すなど日本のパイオニアへ成長していきます。

2011年に全日本覇者となった宮澤さんへのインタービューで強さの秘訣を答えたブログがありました。

そこから引用すると

1:自分が初めてツール・ド・フランスを見た時、自転車選手になりたいと強く思った。
2:シクロクロスの世界選手権で22位に入った時、自転車関係者の人に「若い時強い選手って大成しないんですよね」と言われた時、絶対強くなって見せる!と思った。
3:アマチュア選手としてイタリアで右も左もわからない中、アジア人で背も小さい、というだけで集団内で弾かれる事が多かった。でも、小馬鹿にされる度に自己を主張し、結果で見返した。
4:浅田さん(浅田顕監督)のいるチームで走りたい!と思った時もヨーロッパに行けないなら辞めようと覚悟を決めて、手紙に「自分は他の選手とは違う、強くなる選手です。」と書いた。根拠無し(笑)
5:母親への肝移植後(=2001年、宮澤はドナーとして母親への生体肝移植を行っている)、結果の出ない自分に対して心配する母親に対して、強くなれないのは自分の責任である事を証明したかった。そして、体が壊れるくらい死ぬ気で走った。

いろいろな経験をしているから、自分は強くなれていると思う。
今も狙ったレースのスタートラインに並ぶ時は、
「この中の誰にも負けないトレーニングを積んで自分はここに立っている。負けるはずが無い。」
と思ってスタートします。(引用:エキップアサダ

これを見て思うのが、なんといってもやはりメンタルの強さですね。

引退

こんな宮澤さんもついに昨年2014年に引退されました。

最後のレースには母親がサプライズで花束を渡すというセレモニーがあったようです。

そこで、次のようにおっしゃっています。

 「崇史の選手生命が終わるまで私が生きられるか、心配でした。私の前後に手術を受けた方は、もうほとんど生きていない。私は生きてこの日を迎えられてよかった」

ホントお元気になってよかったですね。

これから宮澤さんは肝臓移植の体験やこれまでの経験をもとに講演をしたり、トップロードレーサーの経験から各種企業の商品開発・PRのお手伝い。

自転車業界の発展に尽力されるようです。

まだまだ、今後の活躍に期待したいですね!

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(画像引用:cyclist)

 


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